1934年から1968年までの30数年間に、6回の大火に見舞われています。
累計消失家屋は2545棟。
家のすぐ近くには親友の家があり、市内にもかかわらず馬小屋と蔵がありました。
親友はその馬(駄馬)に私を乗せてくれました。
鞍もないので落ちないように、必死にたて髪をつかみました。
そんな馬でしたが、馬は逃げられず火災で焼け死んだそうです。
商店家屋は拡幅により解体移築され両サイドとも広げられ、
道路は拡幅され歩道には融雪装置が埋め込まれました。
石川県の行政諸氏、復興はやればできます。
必ず出来ますよ。
そんな思いが実行されました。
50年かかりました。
街は次世代に残してこそ歴史となります。
時間がかかっても諦めず復興させて下さい。
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※大館市消防本部資料より 昭和30年火災(1955年)598棟が消失。
※以下は大館市広報より引用
市政施行後の昭和28年4月29日に官庁街一帯、昭和30年5月3日に大館駅前、昭和31年8月18日に東大館駅前~中心商店街、昭和43年10月12日に御成町二丁目一帯を焼失する四度の大火がありました。その焼失面積は23万8千平方メートルに及び、膨大な損害を被りました。
昭和30年(1955年) 大館市御成町一丁目大火跡
昭和31年(1956年) 大館大火 常盤木町上空から
昭和31年 (1956年)大館大火 大町から末広方面
昭和31年 (1956年)大館火災
昭和31年(1956年)復興の進む大町通り