過去における大規模災害は除外して考えないと、いつまでも同じことに終始する。
災害支援金の300万円はあまりにも少なく、倍増しても600万円。
これでどうなるという金額ではありません。
衣食住の二つを切り捨て「住」だけにしても、最低1000万円の支援は必要。
仮設も公営住宅も、いわゆるあてがいぶちでしかありません。
本当の再建は、本来の住居を再建することに他なりません。
住居が全壊や半壊し、イエローカードやレッドカードを貼られたら住めません。
再建しなければ言うだけの行政になってしまいます。
お金のある人は自力で再建できる、借り住まいの人は他に借りれば用足りる。
高齢者社会の能登では、それは難しいでしょう。
災害は自治体と国が、共に支援をするべきです。 確かに国も自治体も
お金の出どころは税金です。 法律もあります。
また、過去の災害に対する支援との乖離も問題にすることがあるかも知れません。
税金は平等に使う、それはそうなのだけれども時代は進化しなければいけません。
過去にできなくても現在ならできる、本来の行政はそうあるべきです。
支援に過去との乖離が生ずるのは止むをえません。
同じように苦しみを味あわせるのではなく、痛みは取るのが時代の変化であり
行政の役目です。
現在の行政には不合理や不条理が多すぎます。
もし能登地震に多大な支援をしたならば、平等に反すると思ってやしませんか?
東日本大震災の被害者は、そうは思わないと思います。
ああ、こんな手厚い支援をしてくれたんだなと喜んでくれるのでは?
災害支援に過去事例との不平等感や乖離は、あってもいいと思います。
いや、そうあるべきだと思います。 カビの生えた古い法律は反故にしましょう。
海・山・港・海岸・道路やインフラを整備するのは当然ですが、
それだけでは人は戻りません、かつての福島県のようになってしまいます。
10年たったらもう人は戻りません。 今現在の対策が必須なのです。
地元の皆さんはまた地震が来ると怯えてますが、未対策ならばです。
人類の英知をもって取り組めば、次はこのような災害はないと思います。
ここ10年やら20年で3000憶円やら5000憶円の災害対策をしていたなら、
被害はずっと少なかったと思います。 そのおざなりな行政が、
災害時にはそれ以上の出費を引き出す事になるのです。
確かに見えないものに投資するのは、行政としては出来ないと思います。
税金の使途には優先順位がついて廻ります。
しかし、よくよく考えたら
世の中には未来志向で人類を救った人は数知れなく存在します。
目先の事だけに捉われない、真の行政のあらんことを切に願います。
ちなみに330万人の地方公務員・国家公務員の皆様が3万円ずつ募金されれば
990億円になります。
最も、公務員を含む国民3000万人が1万円募金でも3000憶円ですが。
大企業においては3000憶円はどうでしょうか?
不可能でしょうか?