自治体も官庁も、主体は当然ながら高齢者以外。 20代や30代で職を成し、
そろばんづくの世界で翻弄する事実は変えられない。
高齢化社会の今日は、年金やら医療費やら多くの負担が自治体の手かせ足かせになってい
ることは否定できない事です。高齢になれば生産性が無くなるのは致し方ありません。
そこで、年金受給を遅らせるべく仕事の継続を呼び掛ける。 生きがいとか何とか。
これは年金対策であり、高齢者の雇用対策と言う都合よい解釈になります。
働く事を生きがいと称し仕事と年金受給を、天秤にかけさせるのです。
まだ元気なら良いですよ。 体の自由が利かなくなって、介護の段階になったら
どうしますか? 介護者が居なければ、施設に入所しか選択肢はありません。
人生の末路を、そう言う状態に強いられることはもはや普通かも知れません。
筆者は、高齢者は「人生の楽園」を得るべきと考えています。
しかし医療費とか年金とか言うばかりで、政府も自治体もそう言う部分には
極めて無関心で非協力的だと言わなければいけません。
長らく日本を支えてきた高齢者は、一部の裕福な高齢者を除きゴミのように
扱われます。 そこには敬いの観念は存在しません。
どう費用を捻出するのか、そろばんづくの戦いなのです。
マイナ保険証は政府の身勝手な独断で、高齢者にも負担をかけ
税制にも負担を掛けました。 政府の要人は自分たちが高齢者であることを忘れ、
高齢者を排除しようとする愚かさ。富める老人は、貧乏な老人を痛めつける。
いやいやいや、私らも富める老人に成りたいものです。
何のための年金制度ですか。 年金なんて50歳位から支給して欲しいですよ。
定年なんてそれこそ50歳に以前のようにして、それで十分暮らせるようにして
欲しい。70歳も80歳も働いて、年金もらわず死んでどうなるとでも。
高齢者は、政府の奴隷ではありません。
自由と平和な生活が、生涯送られるようにして頂きたい。
ここでひと言。
あと数十年もすれば、問題にしている高齢者は激減します。
それに伴い、ほとんどの高齢者施設は存続の危機に立たされるでしょう。
高齢者施設には多くの人が働いていますが、その雇用すら消滅してしまいます。
大型のスーパーも存続の危機に立たされます。
病院の統廃合、医院の廃院等も進むでしょう。 高齢者は守れず放棄になるでしょう。
地方ではシャッター通りのみならず、高齢者施設の廃墟や学校の閉鎖などが
進むでしょう。 少子高齢化社会は終わってしまうのです。
人は生き物の最たるものだから、政府や自治体の思うようにはいきませんね。
今いる人々の心を動かさないと、人口が増えることはありません。
人口減少は、政府と自治体の力のなさやる気のなさそのものと思います。
船頭多くして船山に上る。
旗振れど動かず。