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クラシック音楽には、基本作曲家と演奏者。
歌謡曲や演歌そのた諸々の音楽は、作曲家と作詞家そして歌手が必要となります。
曲が先か歌詞が先かということもありますが、概ね曲が先行し
それに歌詞がつけられます。 先に歌詞が浮かび、曲をつけることも多いでしょう。
阿久悠の出生地は兵庫県洲本市。 洲本高校から明治大学。
両親は定年後、宮崎に帰ったとされます。
津軽海峡冬景色(1977)や能登半島(1977)は、阿久悠40歳時の作品。
東京オリンピックは1964年、新幹線開業はオリンピックに合わせ開業しました。
全国的には、まだまだ夜行列車が多かった時代です。
東北新幹線などは、まだまだ先のことでした。
東京から北海道までは、1000キロを超える道のりです。 上野発の夜行列車、そして
青函連絡船は長距離輸送の定番でした。 阿久悠が夜行列車に乗ったのかは、分かりませ
ん。広告企画と言う仕事柄、北海道に行く機会があったのかも知れません。
また両親の故郷は宮崎県児湯郡川南町であり、日豊本線のみが通る
郷愁の地でありました。 東京からだと、北海道のように遠いところです。
このように、歌の歌詞には自身の育った環境や記憶が反映されるのが常と思われます。
曲は背景がなくても存在できますが、歌詞はそうはいきません。
能登半島はどうでしょうか。
この能登半島の歌詞には、漠然としたものが付いてまわります。
実際問題として、日本海側を走る鉄道は多くありません。
いつの世も東京に向かう人は多く、
山形や秋田経由で北海道に向かう人は多くはなかったと思われます。
(※一部情報はウイキペディア様より引用)