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幕の内弁当があって、お茶碗にご飯が盛られて・・・。 お米は、色々なところで食されます。
ぎっしり敷き詰められたご飯も、お米一粒一粒の集まりでしかありません。 10センチの大きさのお米はなく、形は多少異なれどお米はお米なのですね。
米粒一粒では、幕の内弁当は出来ません。 また、茶碗に一粒でもご飯になりません・・・。
これを、全てピアノに置き換えましょう。 お米だけのご飯は単調で、人はそれだけでは生きられない。 野菜や肉などが添えられて、ご飯は完成しますね。 ピアノでいう事の完奏です。 形が出来ても、誰もが幕の内弁当を好きな訳ではありません。 嫌いなものは食べ残します。
でも、完食ってそんなに大切ですか? その幕の内弁当って、お仕着せと違いますか・・・(>_<)。 体にいいから全部食べなさいとか、もったいないから残さないようにって・・・勝手じゃないですか・・・(-_-;)。 だから、好きなものしか作らないし、好きなものしか買わないのと違いますか?
音符をお米に例えましょう。 一曲全部がお米でも、1ページでも・・・お米の姿が変わることは決してありません。
お米は秋になり収穫されますが、収穫は一時です。 苗から植えて、いや苗を植える前の田の整備から初めて稲穂が実るまで何か月もの月日が流れます。 一粒のお米は、自然と人の思いによって作り出されます。 その過程こそが、お米の生きてた証であり生きざまなのです。
幕の内弁当になろうが、ご飯で食卓に上ろうが・・・小さな事です。
ピアニストには、音楽を伝える使命があります。 ですから、完奏はどうしても必要です。 継承する物ですから。
ピアニストになるのでなければ、もっと違ったピアノがあるはず・・・(^^♪。
板チョコは、ちょっとかじっても板チョコ。 全部食べなくてもチョコには変わりありません。
「あははは、何言ってんねん。 ちょこっとかじっても板チョコ? あーそうかい、ピアノのはじかじったら曲弾けたことになるんかい。」
「そうじゃなくて・・・。」
「だいたいなあ、ピアノは好きでやってんねん。 何? 幕の内? ピアノは幕の内弁当やあらへんで、音楽や音楽!あほっ。」
「例えただけです」
「例えんでもわかっとるわい。 なんやコメ? じゃ、パンの人はどうすんねん、あほっ。」
「いや、和食です・・・あっ、違った(;´Д`)」
「おまえなあ、ピアノも弾けないくせによう言うわ。 そんな寝言はなあ百年早いで。 何が完奏や、誰でも完奏目指すの当たり前やん。」
「完奏にこだわると、見るべきものが見えなくなるのです」
「はーっ、見えなくなる? 白内障にでもなるんかいな、タコっ。目でも潰れるんかいな。」
「いや、そうじゃなくて例えです(>_<)。」
「だいたいなあ、ピアノも弾けん奴があほらしいで、ピアノはなあ、習ろうて覚えるもんや。 いいな、独学だって? ちゃんちゃらおかしい。」
「勝手じゃないですか、くそおやじ」
「何っ、言ったなこいつ(; ・`д・´)」
「うっせー、くそおやじ(; ・`д・´)」
つづく |