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8月27日に、楽譜のカナ振りの場所の云々について、出版社に問い合わせのメールを致しました。
当方としては、臨時記号の場所の是非を問う訳ではなく経緯を知りたかった訳ですが、回答はありませんでした。
もう、一か月にもなります。
当方、気が付いたことには黙っていられない性格で、良くメーカーなどに問い合わせしま
す。 また、ホームページをを運用している都合上画像の掲載許可などもメーカーに問い
合わせをします。 返答は即答が最も多く、迅速かつ丁寧なものです。
当方、旧宅の解体のためにPCB非含有の証明書を二か所にお願いしましたが、迅速に証
明書を発行してもらいました。
そう言う数々の面倒な事を問い合わせても、迅速に対応されるのは嬉しい事ですね。
また、苦情も問い合わせたことがありますが
対応は迅速で丁寧な物でした。
[自分に直接関係ない事を言うのには相当な勇気が必要]
これを言わないと、誰かが困るのではと・・・。 そういう気持ちが先に立った時に、行動します。
[良かれと思ってしたことが、逆の結果を生む事もある]
もう、6、7年前のこと・・・。
毎日出勤する地下鉄の駅構内。 ホームレスが、ホームのベンチに座っています。
帰るときに同じところを通りますが、やはりベンチに座っています。
そんな日々がずーつと続きました。 木枯らしの吹くころになっても、彼はホームにいました。 確かに外は寒い・・・、夏なら耐えられないほどに暑い。
当時は地下鉄の中地下の通路に、かなりの数のホームレスがいました。 多くは若かったですね。
ホームにいる彼は、随分と年配のようで、身なりも酷く劣化していました。
どうしたら彼を救えるのだろう・・・。 それを随分と考えました。
ポケットに数千円を入れて、渡そうと何度も思いました。 しかし、出来ませんでした。 勇気がなかったですね。
地下鉄の出口には交番があります。 お巡りさんに頼んでお金を渡してもらおうかとも・・・。いやいや、おまわりさんなんて相手がどう思うか。
それに、よくよく考えたら地下はおまわりさんの管轄ではない。 営団の管轄じゃないか・・・。そうだ、職員に頼もう・・・。
それで、ある日の休日家内とその駅の地下にある駅事務所に行きました。
「地下にホームレスがいるので・・・。」と言いかけたら、
「どこですか」「特定のホームレスですか」との返事。 どうやらホームレスが迷惑なので、苦情を言いに来たと思ったらしい・・・。
やり取りの詳しい話は忘れてしまいましたが、こう言った事は覚えています。
「そうじゃないんだよ、排除しろって言いに来たんじゃない。 食うに困ってるんじゃないか、お金をやるから渡してくれよ。
あんたにも親がいるだろ、自分の親がそうだったらどうする!!」そう言った記憶があります。 相当私は興奮していたらしく、「話にならない!!」
と帰ったことを覚えています。 物凄い大きな声で怒鳴ったと思います。 後ろで待ってた人が驚いてました。
それから暫くして、ホームのベンチにいた彼の姿は無くなりました。 また、中地下にたむろしていたホームレス達の姿も無くなりました。
一掃されてしまったのです。 それが本来の姿だということは、否定しません・・・。 しかし、これで良かったのでしょうか。
その後、退職するまで毎日地下鉄の通路やホームを通りますが、複雑な心境でした。
すべて自己責任、それで片づけていいのでしょうか。 困窮している人に手を差し伸べるのには、あまりにも無力。
たった一人でも良い、ほんの少しでも良い、手助けが出来たはず。 それが出来なかった自分が、とても悔やまれます。
自分のことだけしか考えずしてどうする。 自分のためじゃないからやらずしてどうする。 人生は一度限りじゃないか・・・。
言うのは簡単、しかしやるのは本当に出来ない・・・。
そんな私にも、小さいころからの信条があります。 「情けは人の為ならず」です。
そして、「巡り巡りてわが身にきたる」です。
そんな気持ちが、私を駅事務所まで行かせました。 しかし、一歩も二歩も、足りなかったです・・・。
父は、人の命を助ける仕事でした。
今頃は天国で、「つくづくダメなやつだな」と、笑っているかもしれません。
父さん、人を救うって難しいね・・・。