ちまたの情報を閲覧しているとちょっと気になる発言に出くわし何だかなあと感じることがあります。
ちょっとそれこそ気になる発言になるかと思いますので最初にお詫びしておきます。また大意はないのでご容赦願いたい。
悪口雑言の限りであるが多少なりとも真意が伝われば幸いです。
それは、
レンズのこと。そしてカメラのこと。
いずれも商品であり通常量産品であり手作りではないことによる問題点の指摘です。
たとえばレンズの前ピン、そして後ピン。
当人は相当気になるらしい。人によってはチャートを作って調べ上げている訳で恐れ入る次第です。
それとゴミの混入が指摘されています。
まあ当のご本人にとっては大枚はたいて買うわけであるから完璧を期したい、、、、、。それは理解できます。
しかし商品が全て同じで完璧なものとtokyoは一度も考えた事はありません。残念ながら。
こういうことを言ったらメーカーに誤認されるかもしれないけれど、相当の範囲で出来不出来があるのは止む終えないと
思っています。
商品は設計者が作るわけでは決してありませんし、管理も検査も別人がするはずです。
たとえ全点検査という程のものでもどれだけ時間をかけるのかも知れています。
それより、造り立ての商品は組み上げる時に部品が擦れ合いゴミが出るはずです。検査中に生ずることもあるでしょう。
人間も機械も動いているのですから、生産ラインで混入する可能性もゼロではありません。
そういうゴミは検知もれになっても少しも不思議ではない。むしろ完全無欠の状態の方が不思議とすら感じています。
カメラやレンズを使うのは写真家。しかし実際に生産現場にいてしゅこしゅこ作っているのはゴミの混入に拘る
あなた達のような写真家ではないと思うがいかがでしょうか。それは国内の工場だろうが海外だろうが変らないはずです。
生産の現場にいる人達は、生産のプロフェッショナルであることは誰もが認めるであろうが、どれほど教育をしたところであなた達のような写真家ではあり得ないのです。
その現場にいかなるクリーンな環境を準備しようと、写真家の気持ちまで要求するのは酷と言うものでしょう。
たとえば、レンズを分解したことのある人なら、ブラスチックの部品や真鍮・アルミなどこすれる部品の多さに気が付くでしょう。
特にズームレンズはカムの穴がありそこを部品がこすれあう。グリスもあれば何もある世界なのです。
レンズはインナーフォーカスであっても内部で部品が動く事には変わりがありません。もちろんこれはカメラ本体でも同様です。
分解点検が容易に設計をすればゴミの混入は避けられません。
分解を想定せずに作られれば無塵かといえばそうでもありません。もし分解したならばより悲惨になることでしょう。
モノとはそういう性質のものなのです。
修理はラインでするものではありません。ですから、防塵の部屋で修理をするとは考えないほうが良いです。
技術者も職人もそんなスーパーリッチな環境ばかりで作業をする訳ではありません。
レンズの曇りなら磨くのがすべて。ピントの調整ならピントの調整が合えば終わりです。それが本来の作業でしょう。
つまり、ピントのズレは直すでしょうし、曇りなら磨くでしょう。その工程には「ホコリを混入させない」とか
「ゴミを取り除きながら作業する」なんていうのはないのが当然でしょう。
そういう要求はレジメにはありませんよ。ほんと要求するのが間違っています。
組み立てて強固に完成させた量産品はバラしたら終わりとtokyoは思っています。つまり現状より良くなると思ったことは全く
ありません。数十年にわたり、数十台を超える数々の機器を自分でバラして組み立てた本人の言う言葉です。
テレビ、パソコン、ビデオデッキ、ビデオカメラ、オープンデッキ、アンプ、スピーカー、カメラ、レンズ、腕時計など
あらゆるものを分解し組み立てかつ壊してしてきました。
組み立てた瞬間から崩壊が始まる(おおげさだが)と感じています。
新品と言うのは無塵なのではなくて(言い方は悪いが)そのように思っているだけです。
数時間もいや、数分動かしても機械と言うものは動けば内部ではゴミが生産されるとtokyoは思っています。
摩擦があるから物は動くのです。擦れるから動くのです。それをもっと知ってもらいたい。
だから。
買ったばかりのレンズを逆さにしてあれこれ覗くのはやめなさいと言いたい。あらを探すなんてみっともなさすぎです。
そうするのは中古のレンズを調べる時だけで充分ではないかと思っています。
え~新品なのにゴミがあ、、、、、なんて決して驚かないのです。
そんなささいなことに目くじら立てて写真の出来がどうなる訳でもありません。
よしんば完全無欠のレンズとカメラボデイがあったとして、ゴミ混入のレンズやボデイ持ちに勝る作品が撮れる
というものでもないでしょう。
だいいち、そんなさもしい心では写真が泣くというものです。
おおらかなこころで写真は撮りたいですねえ。
フイルムではゴミに悩まされプリントではスポッティング、これは昔は常識だった。
デジタルはゴミがローパスフィルターに付着して醜い影を落とす、確かに気になるし気にしだすともうたまらない。
しかしよく考えて見ると、それが何だと言うのだろう。
写真を売ってお金をもらうならいざ知らず、ゴミぐらいで作品の価値が落ちることも技量が下がることも全くないのです。
もっとおおような気持ちで写真に対峙してはどうでしょうか。
レンズ交換でゴミが混入するのはどうしようもないこと。だから嫌な人は外ではレンズを外さない。まあプロでもなければ意味のないことです。ゴミが怖くてレンズの交換をしない。何だかなあ。だったらコンパクトカメラにしちゃえと言いたい。
それとレンズの前ピン後ピン。これはかなり気になるらしい。とうとうカメラに調整装置まで付くようになってしまった。
何だかなあ。
すこしマニュアルで、ピントをずらして何枚か撮れば済む事だろうしそういう癖を知ってこそ道具は使えるというものでしょう。ピントのずれも作品の内だと知らなければ辛いものがあります。まあメーカーに出すぐらい外れるのなら
かなり問題なのだろうけど、許容範囲なんて言われないようにしないと恥をかくでしょう。
だいたい、
ついこの間まではフイルムだった訳で、デジタルになった途端にこの問題が噴出したきらいがある。
さもありなん。
じつはフイルムの平面性なんてtokyoはあまり当てにしていなかったのです。
おそらくほとんどの人がそう思っていたはずです。35ミリや67の普通のフイルムってロールなんで反るし浮くしたわむし、
とんでもないほど扱いが難しいんです。いやいや、プリントも同様平坦を保つのは困難を極めました。
何が言いたいか、、、、。そうそう、神経質になったら全くはか行かないんですよ。先に進まない。
重箱の隅をつついてばかりいてると、作品が見えなくなってしまいます。林をみて山を見ない。
まあ道具の事を言うと、
使わない車は傷みが激しい、これはある意味事実。いや動きが悪いんですよ。機械も同様です。適度に使わないとそれこそ
使い物になりません。この辺のバランスがじつに微妙なのです。買ったものが新品だと愛でる気持ちは痛いほどわかります。
しかし、少ししたら道具として認識してあげることがもっと大事なことです。
キズ・ゴミなんてある意味勲章です。布に包まれたレンズなんておカメラなんてあー気持ち悪い。写真撮れよって叫ぶよね。
というよりtokyoは基本的に壊れていない限り良しとする。あくまでも道具なんだから使えるか使えないか、それしかありません。
写真って正直だから、神経質な人の写真は神経質に写ります。(ここがかんじん)
写真ってある意味癒しの象徴だったりもします。いやーそうありたいですなあ。
神経質な写真見てたって気が休まりませんよ。
写真はレンズとカメラが必要。ハコがこころを写すのです。
自分でレンズやカメラを作るならまだしも、製造メーカーをそれほど信頼できないのなら写真は辞めた方が良い。
ゴミやホコリや焦点の緩みは商品のエッセンスと理解しましょう。
あなたを試すエッセンスなのです。
それをどのように消化するかが写真家の腕の見せ所ですなあ。
精神衛生と作品は全く関係ないのです。残念ながら。