あはははは。またわしじゃ。
写真というものはじつに難しいのう。
何十年撮ってもまるで先が見えて来ないのじゃ。
いい写真とは何だろうか。写真を上手く撮るとはどういうことなのか。何故写真を撮るのか。
写真の上手い人とは誰のことを言うのだろうか。写真の下手な人はどういう人のことを言うのだろうか。
なんで写真家にプロやアマチュアの区別をつけるのだろうか。なんて考えると全くわからなくなってしまうのじゃ。
あはははは。本論じゃ、心して聞け。
優れた写真家は優れた職人であってはいけない。それはわしの持論じゃ。
優れた職人は仕事にぶれがない。そして失敗もない、あってはいけない。つまり学ぶものがないのじゃ。
優れた写真家はプロになってはいけない。それもわしの持論じゃ。
写真を生業にするのは写真家ではなく職業写真家と言う。じつに似て非なるものなのじゃ。
人に気に入られる写真を撮ろうと考えた時点で、写真作家ではなくなる。
良い写真が出来たから人に見せよう、そういう気持ちがありはしないか。
コンテストに入選したい、写真家のトップになりたいそう考えたことはありはしないか。
写真集を出したい、個展を開きたいそう考えたことはないか。
自分を主張し認められてもらいたい。そうすれば社会の役にたてる、写真を目指している人のためになる。
そう考えてはいやしないか。それは違う、全く違うのじゃ。そういうのは思い上がりでしかない。
写真は写真機が撮るもので、写真家はじつは写真なぞどうしても撮れやしない。
写真家はそこに遭遇しただけなのだ。幸運なのだ。当たっただけなのだ。
写真を撮るためにどのように苦労しようともそれは全く関係がない。
写真の価値は、どのようなシチュエーションも付加してはいけないのだ。ここに大きな間違いがある。
優れた写真家は機材を選んではいけない。何故ならば機材を選ぶのは職人だからじゃ。
失敗の少ない方法を選ぶのは人間の心理じゃ。そして動物の本能なのじゃ。
それは良い結果を得たいがための努力であり、失敗を減らしたい動物の本能なのじゃ。
それは自己防衛機能が働いているだけなのじゃ。危険を回避する本能なのじゃ。
それを排除するのはなかなか困難なはずじゃ。わかったかのう。
その先に本当の写真家が存在するのじゃわい。
良い機材が一番良い絵を作る、それは事実じゃ。しかしのう、機械が仕事をする分写真家は馬鹿になるのじゃ。
いいか、心を持って写真に挑め。
写真を自慢するな。売り込むな。
自分の写真を心底つくづくとみたことがあるかのう。そこには何が写っているじゃろう。それがすべてじゃ。
写真は人生を写す。
それはどんな写真からでも伝わってくるはずじゃ。なぜならば、あなた自身が写したからじゃ。
どんなコマにも人生は乗っている。それがわかる人だけが写真家と言えるのだ。
いいか、
機材は写真を変えられない。一蓮托生を心せよ。
機材は真実しか写せない。撮ろうと思うな。写真は自然に撮れるのじゃ。
心を持って写真に挑め、
写真の枚数を誇るな。枚数は命を砥すると心得よ。
写真は間違いなく写真家の命を削る。そうでなければ写真家ではない、だから安心するのじゃ死にはしない。
一年に一枚。
そう、そんなには写真は撮れない。
桜は一年に一度しか咲かん。一期一会じゃ。
あはははは、数万も撮っただと。あーもうだめじゃわい、長生きせんぞ。あははははは。
沢山の写真の中から探すのは何でかのう。どうして何枚も撮るのかのう。何が怖いのじゃろうのう。
どうして何枚も撮れたのかのう。
いいか、感動は一つだけじゃ。
感動した写真はじつは一枚しかない。それが真実じゃ。
何を探すのじゃ。あれこれ撮って何を探すのじゃ。何を見失っておる。
人生は一度きりだ。写真も一期一会じゃ。シャッターは二度押せない。これが真実なのじゃ。
いいか、真実を写せ。それは自分の心じゃ。
写真を写すのは写真家しか出来ない。これを身に沁みよ。
身を砥して写せ。
いいか、心を持って写真に挑め。だと。
いやいや相変わらずいいこと言うのう。あはははは。
とてもわしにはできんぜよ。
まったく駄目じゃわい。
カメラはいいのが欲しいしほれなんぼでも欲しいのじゃそうじゃろう。欲しくなければおしまいじゃ。
あひゃひゃひゃひゃ何枚だって撮るぞな、撮るぞ撮るぞ撮りまくるわい。
撮れば撮るほど長生きするわいあははははは百年分ぐらい撮るぞい。
あははははは。
売れるもんなら道ばた並べて売っとるぞ。飛ぶように売れるぞあははははは。
時間じゃ。
またじゃ。