えー、世の中にはプロ至上主義と言うものが少なからずあって、それは写真の世界でも同じです。
ややこしいのは、職業写真家と作家を別視する傾向が非常に強い世界であり多くの趣味人は職業写真家例えば写真館やカメラマン
強いては物撮り・記録などの仕事を望みません。
それがゆえに、作家願望が蔓延しなんとか写真を上手に撮ろうと努力するようになります。
しかし、それは大いに間違っています。
上手になろうとする事は、職人になることと同じで、本質は別の所にあることを知らなければなりません。
練習つまり鍛錬を重ねればそれなりに無駄のない作品ができますが、ただそれだけです。
手を入れた作品や、概念から作り出される作品はそこそこ上品で見栄えはするかもしれないが、ただそれだけです。
何が言いたいかというと、
作家にはいくら努力しても、本来の素質がなければなれないということです。
どれだけがんばっても人まねは人まね。教えられたものはその人を超えられません。
近年女流写真家の躍進が目覚しいですが、じつは
女性の撮る写真はどうも男性向けではありません。何故かそう感じます。
女性の撮る写真はすぐに解ります。どうも視点が全然違うのです。それが良い事かどうかは別にしてこれは事実です。
本当にきれいという写真は男性にしか撮れないのではないかと思うことが多々あります。
何故かを論議することは意味がないので言いませんが、これはDNAの問題なので恐らく永劫に変わることはないでしょう。
さて、
皆さんは沢山の写真を撮り、他の人の作例を見、写真展を見廻ったり雑誌を欠かさず講読したりして修練を重ね
沢山の写真を撮ってきたことでしょう。
もしかしたらコンテストにも応募し常連になっているのかも知れません。
それはそれで良いのかも知れませんが、達成する事を目的としてしまうとスポーツやプラモデルの組み立てと大差なく
なってしまいます。写真は過程が大事なのでは残念ながらありません。
結果だけなのです。
出来上がった作品がそこから初めて生きて動き出すのです。
他の趣味とは根本的に違うのです。
よって、作品を応募する事よりもっと先のことを見据えなければなりません。
チヤホヤされていい気になって写真家になれたぞーうはははなんてとても情けないのです。
人が評価する作品なんてどう転んでも評価作品でしかありません。
感性は評価する人の大小でしか決まらないのですから、真摯に行くのなら止めましょう。
数十万円の大艦巨砲で望んでも、携帯カメラで望んでも
本当は撮れる写真に違いはありません。
なぜなら、出来上がってきた写真はハコを持つ人が写すからなんです。
いや、わかりますね箱、、、、、からのハコに写るのは写し手の技量や気持ちなんかでは決してありません
本当の風景だけが写されるのです。
歪んでも曲がってもそれはハコが捉えた真実の世界なのです。出来上がりの見栄えの良し悪しと真実に差が
あるわけではないのです。
同じ条件で同じものを持たせれば、プロだろうが婦女子だろうが絵は全く同じになります。
その真実は曲げられません(写真は曲がるけど)。
以前も書きました。
写真は一期一会。
その一度きりの写真を上手に撮ろうと努力をしてはいませんか。
武士は大小だけで生きていきます。
弁慶のような重装備はいずれ己を破滅させます。
ETのように頭でっかちになっていませんか。
ただの鉄のハコにプラチナや金を買うような投資をしていませんか。
じつは、写真ほどプロとアマの線引きがないものは世の中にはそう多くはありません。
作品は職業で撮るものではありませんから、
なにせ、シャッターをただ切るだけなのですから、、、、、全く区別ができないのです。
構図やピントなんか慣れの問題。作品の技量には全く関係ありません。怖いですねー。
シャッターを切った回数と、作品の出来上がりの回数は全く関係がありません。
というより、自信のない分マイナスとなるでしょう。
プロ=職業人ではあっても、感性は職業の分だけマイナスになるのは否めません。
あははは、感性は削れちゃうんですよ恐ろしいなあ。磨くと光るけど間違いなく減るんです。
これ、天命の利です。
ですから我ら素人、何も恐れずに邁進しましょう。
素人万歳なのでした。