カメラは写真を撮る道具でしかない。当たり前だが本当はそんなこと全くないのです。
写真は写真家が撮るものだとずーっと思ってきたが、そんな事が全くない時代になってしまったのです。
じつに嘆かわしい。
カメラ、特にデジタルものは昨今の若年者にlとっては格好の玩具となっている事実があるのです。
これはとんでもない大変な事で、写真の本質をも壊されそうな恐怖を感じています。
これはフイルム時代と異なり、非常に安直に絵が写ってしまうというデジタルの恩恵にすべて原因するのです。
写真は芸術です。
これは紛いもないない事実です。
本当は、絵を描く者がそれを使うのが相応しいはずでした。
しかし。
残念ながら。
全てが安直に再現される玩具を、若者は決して見逃さなかったのです。
押せば写るんだから芸術なんかではないのです。
誰でも撮れるのです。
アートの論理もひったくれもありません。
この写真世界にゲーム世代と同じ世代の人間が入り込んでくることは脅威以外の何物でもありません。
それは何故か。
はい、
それは金太郎飴風の大量生産を思わす事態に遭遇しているからに他なりません。
金太郎飴はウンマイのです。いや、そういう事ではないのでした。
同じ味ものが大量に生産されているという大変重要な危惧なのでありました。
わかりますねえ、、、、。
レベルが同じなのです。何せ、機材が同じなものでうははははは変わり映えしないかったのです。
これは、大日本帝国の写真レベルにリミッターをかけたようなもので大変に悲しい事態なのです。
道具なんか論破の元であってはイケマセン。
金太郎飴風からいかに脱皮できるかがまあむりだろうなあ肝心なのです。
若者の感性は素晴らしいけれど、なま麩であることは変わりません。いかに焼き上げるかが問題なのです。
つまり、
風景写真を撮るのならば
まず、絵を描くことから始めることが必要と考えます。
絵を描くことは写真のように簡単ではないから、必ず良い作品作りの素となってくれる事でしょう。
絵を描く事ができないのならば、写真は止めた方が良い。そうでなければカメラという玩具のハコを持っているだけの
趣味人で終わってしまうでしょう。
いまだに写真は引き算などと言っている人がいるが、理解できない。
絵描きが言うならまだ解る。
あるものを拒否するのはあばたを隠そうとする事と違わない。真実に蹴られるのは写真家として失格なのです。
写真は引いてはいけません。
なぜなら
事実であり、真実を写すのが写真機なのです。
写真に煩わしいと思う物が入り込んでいたと本当に思うならば、あなたの感性もレベルもそれぐらいなのです。
写真なんかやめちゃいなさい。
写真の端にピントのずれた被写体が写りこむ。
だからファインダーは100%でなきゃふざけるなばかたれ入れたのはてめえだろ
自分だよそれがはじにあるから恥だってちゃいまんねんちゃいまんねん味方にされてねえんだよ甘いんだよ。
絵描きじゃねえんだよだからそんな事抜かすんだよ。
そういうのが入っていてヘーキで採用される裁量が欲しいものですなあ。
聞かれたら言うんだよ。
この端に入り込んだボケた葉っぱはねえこれこれかくかくじかじかなんですって語るんだよ。
きっと写真が語ってくれるぜ。
あはははは、なんせ箱ってやつは正直箱と言って何でも写すんだよねえ。
入れないのがプロだなんて大間違い。
怖いだけなんだよ。素人と間違われるのが。