デジタルにどっぷりと浸かっていると、その安直で見栄えの良い画像にすっかり翻弄されてしまう。
写真の腕が上がったように錯覚し、デジタルは高画質だと心底信じてしまうことになる。
フイルム代も掛かるし、DPEもそれなりに高い。デジタル写真のようにミニラボ屋さんは補正して焼いてくれるわけでもない。だもんで、一気にデジタルに走ります。
自家プリント中心だったとはいえ、めんどうなことも多く同時プリントに出すことも多い。
ほとんどの人は同時プリントの仕上がりはこんなものだと思って疑わない。(ネガの話ね)ここが問題。
ネガは丁寧に現像・プリントをすれば、そこそこの仕上がりになることを知らないのです。
それでポジに走る。そしてデジタルに走る。まあそれはそれで良いのだけれど、ネガフイルムの良さや潜在能力を知らないのは写真家として残念なことだし、もったいない。
以下に古いネガ写真をそれもくたびれた600dpiのスキャナーで取り込んだ作例を紹介します。
フイルムは当時常用の、5本で900円程度ののネガカラーフイルムの写真です。
カラーですがモノクロ化しております。梅ですかなあ。
公園ですなあ。
写真の最終形態はプリントであることはデジタルでもフイルムでも変りません。
粒状性のあるのがフイルムでありデジタルはありません。永年にわたり粒状をゼロにするのがフイルムの目標だったけれど、
いざデジタルになったらそのノッペリ感に落ち着かない。それは事実で、意図的に粒状を付加する人もいる。
それはあまりにも情けない。最初からフイルムを使えばよいのです。
ハイエストとシャドーのコントロールはネガにおいてはとても重要。中庸なネガならばプリントで良好なコントラストの写真を得ることができます。デジタルにはこの中庸と言う感覚がありません。
カラーですが、モノクロ化しております。撮影年1995年~1998年。
じつは、写真は基本的に押さえを撮らない。
36枚撮りは安くないので24枚オンリー。つまり24の作品が撮れることになります。
デジタルになって手振れを量産して嘆いていますが、当時の写真を見ると手振れの作品がほとんどないのに驚きます。
厳密に言えばあるのだけれど、許容範囲というか目立たないのです。
これはカメラのせいもあるだろうし、一枚一枚丁寧に撮っていたからかも知れません。
カラーだと綺麗かそうでないかになってしまう。
本質を消すことで存在を表現する。そういうことも重要だと思う。
ネガが多くの写真家に支持されなかったのは、色再現でしょうか。ポジは見た目に忠実に撮れるが、ネガはそうはいきません。同時プリントはオートなので、満足するプリントを得るのはほんとうに難しい。
自家プリント処理をすればこの問題はかなり解決されます。しかし、現在では機材を揃え自家処理するのは困難でしょう。
デジタルでスキャンし、パソコンソフトで現像処理をするしかありません。しかし、そのような手間を掛けても満足な画像を得られる保証はありません。
フイルムはそろそろ整理されてきていて、昔のように色々なフイルムを使うことはできなくなりつつあります。
デジタルの方が解像度があるのは止むを得ないが、フイルムも充分な解像度をそなえているのもわかります。
これらの作例は35mmフイルムですが、6x45や6x7はサイズが格段に大きいのでデジタルに劣ることはありません。
もう中判はやらない予定ですからしばらく35mmのフイルムを使ってみたいと考えています。
カラーネガをモノクロ化するのも良いが非常手段には違いがありません。
いわば邪道です。モノクロフイルムでは実際に出来上がる画像はかなり異なります。
以下作例を見てみましょう。
フイルムならではのコントラスト。この見え加減がじつに難しい。この作品を見ている人は、ネガがどのような調子で現像されたのか全くわからない筈。当然ですな。まあ言えば、モノクロフイルムは抜けが良い。この透明感はなかなか出ません。
だもんで、
じつはややノイズを付加しているのです。撮影年1995年から1998年頃。
この作例は上とは全く違います。見て解るとおり撮影時期は真冬ですな。コントラストの出方がまるで違います。
これは上のフイルムと、現像がちと違うのです。やや軟調な出方になってます。上は恐らく秋。光の抜けも違うのです。
じつは、これもノイズを付加している。
わかんないだろうなあ。
真冬で晴天だとコントラストが結構強くなります。こういう被写体はまだいいほう。デジタルだと泣きますな。
砂利やタイヤなんて、照り返しがひどいんです。撮影してから十数年経ったから、もうこの車はないかもしれないなあ。
モノクロは色がないから階調が大事。ギンギンにすることもあるが、ほどほどに焼く。
このほどほども結構難しく、やってるうちにどーでも良くなる。パソコンは楽だなあ。楽だ楽だらくちんだ。ほれほれ。
というわけで、デジタル写真のモノクロ化が浸透してきた。それでいろいろやるのだけれど、ある域の階調が出ないことに気付いた。メーカーは知らんだろうなあ。
というわけでモノクロは中々に楽しいのだ。でも現像は自家処理でないと高くてとてもやりきれない。
今あるモノクロネガをデジタル化するのが先決だろうけど、正直めまいがする。 1998年記