児童関連の事件が起きると、記者会見で責任者が言うことは決まって
保護を勧めたが大丈夫と断られたと言う、大変にお粗末なお言葉。
深入りするのは色々事情があり困難なのかも知れません。
さりとで、放棄は困難を回避する逃げでしかありません..。
悲惨な結果は、いつも付いて回ります。
国民には、責任逃れとしか思えません。
そんな事件、新たな事実が明らかになりました。 Aiの評価が39%と出て、
保護するに至らないと判断したとのこと。
なるほどねえ、今度はAiに責任転嫁ですか。
Aiは聞き取りしたデータなどを元に判断をします。 嘘の報告や否定的なことが
データに蓄積されていれば保護の必要なしと判断して当然です。
保護者の言うがままを記載すれば、それがAiにとっての事実となってしまいます。
公的機関は、一定の基準でしか動きません。 責任が付いて回るので、動かないと
いった方が正しいでしょう。 トラブルは日常茶飯事なので、
真摯に向き合っているかどうかは甚だ疑問です。
仕事とは言えど誰でも面倒なことは嫌ですから、
報告者はは微に渡り細に入ることはないのでしょう。
それこそ何かあってから、鉄のように重い腰を上げようとします。
でも結局重すぎて、立ち上がれず元に戻ってしまうのです。
一度でも保護と言う認識があったのなら、それは変わることはないですよ。
それは正しい判断です。不動の事実と言うか判断なのです。
それを信じて突き進めれば良かった。何故に揺らいでしまったのか?
誰でも人の目を気にする。 その辺りの判断の誤りが大きな事件になってしまいます。
力づくでも、そう言う危険があった親などからは離すべきでしょう。
法律も、もっと児童相談所などに強制力を持たすべきだと思います。
一事が万事、一度疑義が起きたらひっくり返ると言うことはありません。
保護者の言うことを鵜呑みにするから、このような事件は後を絶たないのです。
もう少し言えば、何回面談しても何度訪問しても
成果が得られない進展しないならばそれはゼロ行為です。
営業は、100回訪問しても留守なら未訪になりますね。
政府のように27回訪露しても解決しなければ、成果はゼロ。
全て税金な経費なりり時間の浪費になります。
結果を得るために、動いているのです。
事件と歴史は繰り返します。
余計なことに口出しして、面倒なことに巻き込まれたくない。
でも死んじゃった子は、面倒も何もそれで生涯が終わってます。
100人助けるのは難しいかも知れません。
でも、1人だったら、1件の事案だったら解決出来たのではないでしょうか。
自分から死に行く者は中々止められない、しかし外的要因なら
止められる手立ては山と存在します。
やるかやらないか、それだけです。
賽の目を振るがごとく、Aiに判断を委ねてしまった。
なんと、情けない。