ノンポリであり平和主義者ですが、それも時によりけり。
他国から攻撃されたり侵攻されたり、はたまた核兵器の脅威があるのなら
全てにおいて見直すことが必要だと考えます。
紛争国の住民が「自国は自分たちが守る」と言ってることに共感します。
広島や長崎、その悲惨な過去があるからと言って、ただただ反対をしていて
有事に国が守れますか?と言いたい。
専守防衛と言ってたら、焼け野原になりはしませんか?
抑止力があってこそ、防衛は出来ると思います。
いや、それしかないでしょ。
対話何て言うのは、話が通じる場合の事ですよ。
紛争するものにそんな奇麗ごとは存在しません。
当県の知事も、憂慮の念をあらわにしていました。
抗議なんて何の役にも立ちません。
目には目を歯には歯を、って言いませんか?
家族や仲間が惨殺されても、見殺しにしますか?
もう奇麗ごとは止めにして、強力な抑止力を持つべきでしょう。
そう言う時代が来たのです。
島国日本を守るには、抑止力と攻撃力が必要不可欠の時代になったと思います。
過去の過ちを繰り返さないためにも、抑止力を確かなものにして欲しい。
平和を望むのは当然であり、何も使わず何もしなくて済むのが最善です。
願ってるばかりで、本当に良いのでしょうか。
最強の武器があるのならば、抑止力になるでしょう。
もう、そう言うことを実践する時代になりました。
これから先、千年も万年も平和に暮らすためにそれは必要だと思います。
歴史的に戦いの好きな国民でしたが、
他国が恐れるほど凶暴な国民じゃなくなりました。
間違っても、他国に侵攻することはありません。
今はノーガードですね。
抑止力と攻撃力を持っても、それは変わらないと思います。
間違った戦争を起こした国だからこそ、
原爆の脅威を味わった国だからこそ、断言できます。
ただひとつ例外があるならば、
日本国民が滅亡の危機にさらされた時でしょう。
眠れる獅子を起こしてはならない。