DNA鑑定の結果が出て、行方不明者ではなくなりました。
警察は、事件か事故の両面を崩していません。
それはそうだ、今更事件にはしたくないのが本音でしょう。
報道の一部始終を見てみると、警察の言い分とはかなりの乖離が見られます。
矛盾も多いように感じます。
事故ならば、事故になり得る時系列が先ず存在するはず。
それを証明していかないで、事故も想定とは疑問が残ります。
事件事故には三つの原因しか存在しません。
一つは、獣。
一つは、自己原因。
一つは、他人つまり交通事故・誘拐などの人為的なもの。
このどれに当たるのかを、現場の地理・地形などを考察して検証しなければいけません。
獣ならば、クマなのか猪なのか。
馬や豚、犬猫は関係ないですね。
急斜面がある沢を数百メートルも登れるのかと言う疑問。
数十分足らずで行方不明になったのなら、大声で呼びかける捜索の声も届く筈なのに
どうしてなのか。
道の両面は、誰が考えてもわざわざ分け入らない程に不気味。
これは田舎で、山のある地域に住んでいればよくわかります。
道からそれることは、考えられません。 どんなに好奇心があってもね。
クマが道に出ることも考えにくいです。
それは、当地も同じ。
山の中では、動物が人の作った道を歩くことは先ずありません。
つまり、やぶ以外では遭遇することは考えられません。
もし目の前に熊なり猪が表れたなら、どうしますか?
逃げますよね。 子供なら逃げられず、転びますよ。
移動させたと言うのなら、痕跡は残る筈。
怪我なしで連れ去られることも、無言で連れ去られることも考えにくいですね。
大体にして数百メートルも山の上、獣がそこまで運ぶ理由が考えられません。
ツキワクマの場合成獣でも1メートルから1.5メートルで体重も70キロが平均。
つまり、人間と大差ありません。
7歳児の体重は20キロ以上ありますので、
くわえて数百メートルも高い場所移動させると言うのは流石に無理でしょう。
引きずったならば、靴は脱げてますよ。 シャツは敗れて歯の痕跡が残る筈。
人も多いキャンプ地、そう言う危険を冒してまで人間を襲う理由が考えられません。
動物は訳なく人は襲わない。
靴やらシャツやら一部の骨が比較的近くにあったと言う事は、
その辺りにいたと言う事なのでしょう。
なのに何故頭の骨の一部、しかも数センチのものだけが
数百メートルも下流で発見されたにのか。
他の部位は掘らなければ出ない程、腐葉土が堆積していたところから出ています。
警察が事故を否定しないのは、人為的に埋められた痕跡がないからですね。
でも3年も前の事だから、そう決めつけるのも。
なぜ、最初の骨だけが上に出ていた?のかそれも不可解です。
獣が運んだと言う人もいますが、元々は上流の土中に埋まってたものですよね。
獣が運ぶ?何のためにそんな破片を?
先ずは事故と想定しないと、
この道志村キャンプ問題は解決しないと踏んでいるように感じられます。
状況証拠を積み重ねるのが警察なのに、理解不能なことが多いと感じられます。
自己原因は、自らその沢の上流まで歩いて行ったと言う事。
これを主張する人も多い。 歩いていけないことは無いと
言いますね、いやいや、夕暮れ時山の中の道ですよどうして登ります。
何処に登る理屈が?
発見されたのは真逆の方向ですよね。
何日も迷って方向感覚が無くなれば、そう言う事は有り得ますというかそうなります。
でも、当時の捜索態勢を考えれば考えにくいと言うか、あり得ないことだと思います。
既にいないのに探していたと言うのが妥当なのかも知れません。
自己原因は、考えられないと思います。
人為的なことはどうでしょうか。
これが一番怪しいのかも知れません。
車の事故ならば痕跡が見つかる筈、しかし何も痕跡は見つかっていません。 1
0分間の間に、他の子どもが同じ道を帰って来ていると言う事実があります。
つまり、近いにも関わらず、合流できず誰も見ていない。
忽然と姿を消したのですね。
誘拐説が当時出ましたが、これが一番臭いと踏んでいます。
警察犬も出したが、追うことが出来なかったと言われてましたね。
匂いが途中で消えたとの事もあります。
車ならアリですね。 その場から消えたのなら、いくら捜索しても見つかる訳もない。
この辺りの想定は、どうやらなかったように思えます。
つまり、山のどこかにいると決めつけていたことは否めません。
実際はいたのですが。
つまり、事故やら獣やらは推測や憶測の域を出ません。
シャツが出たなら、獣に噛まれた跡が残る筈。
それの発表もありません。
これが事件だとしたらどうなのでしょうか。
これはあくまでも、事件ならばと言う、個人的な推察です。
色々なケースが想定されますが、そのカギとなるのはやはり最初の骨の発見でしょう。
それが点から線へと繋がりました。
その骨の発見がなければ、行方不明者はほぼ永久に闇の中だったと思われます。
つまり、忘れ去られていたのです。
何故今頃と言う声が多いですね。 その通りだと思います。
満を持して現れたとしか言えない程、それは唐突でした。
あっという間に発見に繋がりました。
その発見場所の意外な場所に、誰もが驚きました。
警察が何故上流を捜索しだしたのか。 何故土面を掘り出したのか。
この辺りがカギになりそうに思います。
3年近くも、何故ボランティアと称するの方が捜索していたのか。 疑問が残ります。
この山は国有地なのか私有地なのか。
そのどちらでも、自由に立ち入りできるものなのかそれも疑問です。
数センチのかけらが、
何故警察に届けるべきものだと分かったのかそれは非常に疑問です。
何も報道されないだけに、不可解で疑問が残ります。
その辺りが一切報道されないので、憶測が憶測を呼んでしまうのです。
事件だとすれば、何故同じ山に遺棄したのかと言う事になります。
そして何故沢だったのか。 何故上流だったのか。
台風により沢は川になり土砂も流れる、それを想定した可能性はないのかと言う事です。
流れるならば、ふもとまで流れて欲しい。
そうならば出来るだけ高い場所でなけれないけない。
しかも沢であるのは必須。
道の下100メートルの絶壁の下には道志川が流れていいます、
そこまで流れて川まで運ばれれば川での事故に見られるかも知れない。
そう計算したとしたら、急峻な沢上流に遺棄した理由が説明が付きます。
案の定、大型の台風19号が道志村を襲いキャンプ場の道路が土砂で埋まったりしました。
当時の被害写真を見ましたが、山からの土砂であちこち道路が寸断されていました。
もし、事件だとすればどうでしょうか。
このような災害が、思惑道理に事を運んだのか知りたくなりますよね。
思ったように事が運ばれてないとしたらどうでしょうか。
確認の行動を起こすかも知れませんね。
事件だとしたら、必ずあるのが動機です。
動機無き事件は発生しません。
何故子供なのかと言う事になると思います。
まあ、こんなことはあって欲しくはありません。
憶測です。あらゆることは想定したい。
ですから、今回の事は事故であって欲しいと思います。
今後の捜索で、
新たなものがどんどんと発見され事故の証拠となる事を祈りたいと思います。
※資料写真は、グーグルアース