ブレーキとアクセルの踏み間違い、とされる交通事故が後を絶たないようです。
ネット記事を見ていたら、?な意見が述べられていました。
マニュアル時代の名残なので、ペダルを隣り合わせにしないとか。
踏み込まない方式にする、とか。
150年も続いている方式に問題提起もしています。
事故を誘発する構造的問題とも指摘しています。
フールプルーフにも言及しています。
まあ、言うことはその通りでわからないでもありませんが
根本的なことを見落としているように感じました。
いやいやいや、個人の感想です。 異論ではありません。
それは、
人間が二足歩行の動物であること。
一度に犬や馬のように、日本の足を同時には動かせないことを考えていません。
左ブレーキなどという意見も、だいぶ昔にはありました。
それは、やっぱり間違った考えだったのでしょう、実現はしませんでした。
通常の走行に常に使う足は右です。 停止はその真横になります。
両足を使うのは二刀流に同じ、通常では緊急時に体が対応できません。
アクセルとブレーキを踏み間違えるのは、この人間の神経指揮命令系統にあります。
それがために踏み間違いが起きます。
脳と神経の正しい作用、正常な作用ががそれなのです。
つまり、危険なのでブレーキを踏まなければと思ってからでは遅いのです。
これは、ペダルが離れていることと神経伝達の乖離に起因します。
ですから、こう言う踏み間違いは年齢に関係なくお起こるはずです。
その辺りを誤認すると、高齢者講習やら認知症検査をしても
一向に事故が減らないと言うことになります。 免許の返納一本押しになりかねません。
あくまでも人間の習性なので、ペダルの配置やら数とは無関係とも言えるでしょう。
踏み込むことに言及もありましたが、踏み加減で加減速するのは昔から変わりません。
構造的にそうなのです。 押せば弁が開くもしくはスイッチが入る、
これは機械の道理なのです。
この動作は押すほどに弁が開く、もしくはブレーキシューを
締め付けると言う理にかなった方式です。 フールプルーフでもあります。
ワンペダルを考えた輩もいましたが、一般的には無理だったようです。
緊急時に足を動かすにはタイムラグがあるので、パニックになるとそう言う
事例になるのはある意味致し方ないと考えます。 そのためにもAiを組み入れて
アシストすることは必要になると思います。 現在のAiは、まだまだ未熟です。
この引くと押すと言う行為は、真逆の行為であり日常でもよく目にします。
ドアがその例。 引くのもあれば押すのもあります。
これは常に迷うので、必ず「押す」とか「引く」と言うパネルがノブの周りに
張り付けてあります。 それを見ないと、自宅と同じ行動をしてしまいます。
つまり、人間は同じことを良し(=当然)として繰り返すのです。
もう150年経って方式を変えることは出来ないというか、無意味です。
何のメリットも生じません。 むしろ煩わしく混乱するでしょう。
脳は実は常に情報をリアルタイムで受け取っているわけではありません。
かなり間引いて情報は認知されています。
これは人間の脳に限りません、あらゆる分野で間引きが行われています。
人間の認知機能は、前述のように完璧なものではありません。
同じ文字の中に一つの間違い、良くありますね。 何度見ても探せません。
暫く放って置いてトライすると探せたりします。 脳はどうも楽をするようです。
文章を読む場合、過去の学習から推測し判断するのも脳の習性です。
緊急時には最も身近なものを選択する、それが本質です。
意のようにはならないことを知るべきです。
もう一つ、ペダルやハンドルには遊びがありますね。
それも非常に重要なポイントなのです。
遊びがないと、車はスムーズに走りませんし曲がりません。
つまり脳から腕、脳から足までは距離があります。 この距離は神経伝達には大変な
ネックなのです。その遊びこそが、ある意味フールプルーフになっているとも言えます。
市販車とレーシングカーのレシオは異なります、それで当然です。
アクセルとブレーキの位置やら数は、事故とは無関係と思っています。
よくできた構造と認識しています。何も変える必要はありません。
車は走る凶器とも言われています。 つまり、乗る人次第でそうもなります。
アクセルとブレーキ、緊急時には対応が難しいことを理解し運転する。
それしか対策は無いように思います。
いつだったかの死亡事故。 車が欠陥とメーカーを訴えたが、異常はなし。
なんとその御仁、杖ついて足が不自由らしい。 おいおいと言う現実です。
敷いたレールの先に土留めがあるようなもの。 突っ込みますよ、それは。
事故は起きるものではなく、起こすものです。