遠い遠い昔のこと、私は銀座に勤めていた。
いつも乗り降りするのは、銀座4丁目の地下駅。
そう、その日は冷たい風が吹きすさぶバレンタインデーだった。
いつものように階段を降り、地下のホームへと向かった。
混み合うホームの中で、
ふと、すすり泣く声に気が付いた。
ホームの最前列に、若い女の子が右手にチョコらしい箱をぶら下げて
人目も構わず泣いていた。
事情は直ぐに理解できた。 チョコの行き場を失ったのかと。
えんじ色の箱にリボン。 どこから見てもバレンタインデーのチョコだった。
渡せなかったのか、拒否されたのか、それとも。
色々な考えがよぎったが、彼女はすすり泣くのをやめることはなかった。
気が付けば私は既に電車の中で、彼女が同じ電車に乗ったのかすら
分からなかった。
そんな衝撃は、ずっと尾を引いて
いつしか、バレンタインデーが近くなるとそんな情景が思い出され
空しい気持ちになった。
あの子はどうなったのだろうと、時々思い出す。
もうその子は結婚しているかも知れない。それほどに歳月は過ぎてしまった。
チョコはそんなに甘いものなのだろうか?
それとも、耐えがたいほどに苦いものなのだろうか?
最近の調査によると、バレンタインデーに反対している人は半数以上とも。
バレンタインデーを心待ちにしている人も、勿論相当数存在する。
チョコの製造メーカーやら販売店はホクホクなのかも知れないが、
悲喜こもごもの実態があることも。見逃しては行けないだろう。
あの様々な形と色どりで演出するチョコは、可愛く美しい。
その可愛らしさと美しさが、諸刃の剣にならないように願いたい。
バレンタインデーなど止めにして
いつでもいつの季節でも、それこそ誰でもが気軽に買えるようになって欲しい。
ケーキのように誰かにあげるだけでなく、自分のご褒美としても
食べられるようになって欲しい。
そうすれば、あのチョコたちはバレンタインデーと言う刹那に生きるだけでなく
多くの人に浸透し市民権を得ることだろう。