写真を売って生計をたてる人は全てプロ写真家ですが、いわゆるプロとは少々定義が違います。
写真家にはプロテストがあるわけでもありませんから、お金を代償として受取りそれが生計の主を占めるのであればプロ写真家と言えます。写真館の従業員の方たちも写真を撮って料金を頂いていればプロになります。もちろん一般に言われるプロ写真家と言うのではありません。(ややこしい)
新聞社のカメラマンは外部のプロカメラマンが多いようですが、社員の新聞記者もカメラマンとして撮影することはあります。社員の場合は写真を売る訳ではありませんので、カメラマンであってもプロ写真家とは呼びません。
風景でも自然でもジャンルを問わず、生活上の金銭が絡むものは全てプロフェッショナル写真家と言う事になります。しかし、写真を撮れば誰でも写真家宣言可能な訳ですので、本当は写真家にプロ・素人の分け目は存在しないと言う事になるのです。
一般に言われるプロ写真家の場合職業として写真を撮ると言う事は目的が明確な訳ですから、自ずと技量は高レベルになります。そういう意味で熟練の全くないアマチュアがプロの域に入れる余地は全くありません。それほどプロの習練度、熟練度は優れたものなのです。プロ写真家を目指す方はまず基本を学ばなければ無理でしょう。
8x10などの操作が煩雑で大型で組み立ても伴いおまけに高価でコストも高い、このようなカメラを手際よく操作できてもプロではありません。また逆に操作も出来なければプロとは言えないでしょう。
フイルムの自家現像が出来ない人やその設備すら持っていなければやはりプロとは言えません。また設備を持っていても出来上がる写真がお粗末ではこれもまたプロとは言えません。デジタル時代にシフトしている現在、RAW現像が嫌だとかパソコンが嫌だとか言ってる人もまたプロとは言えないでしょう。写真を写す機材について優れているのもまたプロなのです。
しかし、実際には冒頭に述べた写真館の従業員でも世間的・職業的には立派なプロなのです。何度も言いますがプロ写真家と言うのではありません。(やはりややこしい)
tokyoは数十年にわたり写真雑誌を講読しています。多いときでは6誌を毎月のように購読していました。また写真展も十年以上にわたり片っ端から見て廻りました。そしていつも感じるのは、写真と雑誌の印刷とのギャップです。これははっきり言ってコマリマス。勿論紙焼きの方が良いのです。
誰にでも撮れる写真と撮れない写真。
誰にでも撮れる写真はスナップや日常写真と言われていますが、実際はそうではありません。
日常の写真は無意識にシャッターを押すことが多いので、その人の個性がモロに出ます。プロの撮影するスナップや日常写真はスマートなもので、すぐに解ります。どうしても計算されたように優等生的に写るのです。ピンボケも許されないし、何故か構図まで決まっていたりします。プロはあらゆる物が身についていますので見栄えの良い写真になってしまうのです。これが撮れない写真の典型になります。
東京写真を見て頂いてる方は、東京写真の写真に写り込む雑多とも思える物にお気付きと思います。
いわゆる構図の整理というか雑多な写り込みを東京写真は排除しません。また面白い物や珍しい物は誰でも写したくなりますが、そういう行為だけには走りません。tokyoが写真を撮ろうとしていると多くの人に不審がられます。どこに写真を撮るほどのものがあるのだろうという忌憚の目が常にあります。
ですからスナップや日常写真と言っても、シャッターを押すのはそう簡単ではありません。
写真の良し悪しはシチュエーションで決まり、技量の良し悪しでは決まりません。
つまりプロがプロたる所以は写真のシチュエーションの設定によります。
素人は遭遇頻度は少なく、プロは当然多い。ただそれだけです。技量など後から付いてくるものです。
同じ所に行き同じく三脚を立て、同じ機材を使い露出も同じなら残念ながら同じように物が撮れてしまう。
それが写真です。それゆえセッティングをしてレリーズを弟子がしても、出来上がる写真はほとんど変わることはありません。違うのはシチュエーションだけなのです。
漫画なども同様。すぐれたアシスタントならペン入れを任せてもほとんど出来上がりは変わりません。
tokyoの原点は絵描きですから、構図うんぬんは嫌と言うほど叩き込まれています。
絵画は余分な情報を描かないのが普通です。写真これやっちゃイケマセン。
写真・・・です、真実を写します。何も写っている物を隠す必要はありません。雑多な写り込みではなくて、写真なのです。写ればよし、写らなければ化け物です。どんどん雑多な物を写しましょう。
よく整理された写真は切り身の魚、刺身になったらもう何がなんだか解らない。そういう写真は非常に多いですね。
背景がはっきり写っている写真を指して状況説明写真とか言い馬鹿にする人もいます。電柱、電線を忌み嫌う人も多くそれだけで撮影しない人もいます。そのくせ看板を平気で撮影(これは注意が必要)するのです。
シャッターを切る回数がプロは圧倒的に多い。
シャッターを切る回数が多いのは普通に考えても勤め人よりは5倍は多いでしょう。仕事ですから。
問題は一回の撮影あたりの撮影枚数です。こと人物撮影になると呆れるほどに多い。実際に現場で見ていても空打ちも含め相当数シャッターを切ります。これは資源の浪費以外何物でもありません。理由はいくらでもあって、多くを写さないとクライアントもモデルも納得しない事に起因するようです。多数の人員で経費も掛かりますからある程度の時間の消費も必要なのでしょう。
デジタルに移行してもフィルム代以外は何も変わることはありません。
まあ相手は人間なのでポートレートは致し方ないとしても、風景はイケマセン。
デジタルなので余計にシャッターを押してしまうのかも知れませんが、撮影枚数の多さと撮影技量は関係ありません。基本は1シチュエーションスリーカット、一日五箇所なら20枚程度それ以上は無駄です。
ただカメラを向ける被写体が多ければ当然カットは多くなりますので一概には言えませんが、一日数百枚などと言うのは撮りすぎです。整理するのに悩みRAW現像でさらに悩みます。
tokyoはできるだけシャッターを多く切ろうと思って出かけますが、百枚を超える事はあまりありません。
後でプリントするために選別するのですが数枚選ぶのがやっとです。すべてをRAW現像するのも意味がありませんが、現像しなければ仕上がりが解らないのの事実で不満は常に生じます。JPEG画像もそのままではほとんど使えません。昨今は330万画素と言うオールドのカメラのみで撮影していますが、露出は撮影時に調整し、撮影後に再度調整すると言う作業をして保存します。色のイメージは日にちが経つと解らなくなりますので出来る限りその日に調整します。
カメラと云えば、
カシオのカメラは現在の1200万画素のカメラに至るまで発色の傾向と言うか、色の再現性が変わりません。これはある意味当然なのかもしれませんが不思議に思います。1200万画素の画像の傾向は600万画素の傾向と非常に似ているものでした。輪郭補正がきついもののかなりナチュラルな色の傾向です。
色の忠実度はニコンの高級デジタル一眼レフに似ています。勿論憶測ですが、開発者にニコンフアンがいるのかもしれませんね。