オーディオを探求すると無機質になる
オーディオは微弱電流を拡大して、スピーカーを介して音波となす。 オーディオは信号の再現だから、忠実に再現しようとすればするほど
様々な問題に直面する。 信号と言う取り出したいものには、様々な物が付帯する。 それをふるいに掛けようとすると、本来の信号も
少なからず失われてしまう。 ふるいをかろうじて抜けた信号は、傷んでいて原型を保っているとは決して限らない。
そのわずかな微弱信号を通すがために、鎧兜で身を固める。 それは防御であり、過剰防衛であったりする。
そうである限り、無駄に費用は掛かってしまう。
オーディオは音楽を再現する前に、まずは機械であり機器である
より良く音楽を聴こうと思えば、より良い機器が必要になる。 これは信号なので、逆らうことはできない。 より良い機器とは決して価格ではない。
進歩のない機器は、その時点で全てが止まっている。 より良い機器とは、進歩のある機器である。 それが故、より良く聴こえる。
人間が大して変わらないように、オーディオの回路は大して変わらない。 何をしても元に戻ってしまうと言う、迷宮が常に存在する。
機械であり機器は、商品でありそれを忘れてはいけない。 常に原価率があり利益がある。 売れなければ当然利益は出ない。
商品が呆れるほど高いのは、一品コストが高いだけであり他に理由は何もない。 もろもろの製造費であり人件費であり流通費であり、
開発費までが乗せられる。販売までの、寝かせる時間までも吟味されている。 だから、いつまでたっても価格は高い。
材料の多さより、それを加工する機械の製造、カット&トライの無駄も経費でコストになる。 さらに、仕上げが加わる。
オーディオで最も遅れているのがスピーカー
いつも論争の的となるのが、スピーカー。 音の上流である物はかなり進歩したが、スピーカーは未だに箱であり、振動板のユニット構成。
かつての定番は、ホーンシステムが主流。 下位ほどコーンシステムであった。 木の箱が長い間主流であり、現在も変わらない。
現在のハイエンドシステムは金属を使う事も多い。 金属には鳴きがあるからと、何十年も不採用だったのにである。
金属は木に比べもの凄く硬い。 金属は木に比べて、振動は非常に少なく抑えることが出来る。 但し、振動しないのではなく振動はする。
残念なことに、その振動周波数が非常に高いのだ。 可聴域ならばキンキンとして高域が増幅して聞こえてしまう。
問題なのは、それがピークを持つ特性だからだ。 このピーク(共振周波数)を、可聴外まで追いやるという方式が取られることが多い。
これはスピーカーのキャビネットのみならず、振動板ならば必ずついて回る。 現在のテクノロジーでピークは、可聴域遥か彼方まで
追いやることに成功している。
詳しくは割愛するが、スーパーツイーターという物も昔はよく使われた。 振動版の性質上、高域はせいぜい20,000Hzどまりであったからだ。
FM放送は15,000HZ、CDは20,000Hz、可聴域は20,000Hz、でもそれは大人はまず聞こえず大概12,000Hz程度。 それなのに何で20,000Hz以上が
必要かと、喧々諤々の論議があった。そう、遠い昔に・・・。100,000Hzまで再生可能なSACDとか巷のハイレゾは本当に必要なのかと今でも思う。
しかし、それもまた時代の流れ、商売は機を逸しては成り立たない。 こぞってハイレゾに走る。 乗り遅れたのはSACDだけだった。
高域限界を20,000Hzから伸ばすのは、簡単ではなかった。かなり手こずった。スピーカーだけの問題だけではなく、測定器、アンプ全てが
見直された。 かのスピーカーは振動版を軽くしたり、電圧系の物にして高域限界を100,000Hzまで伸ばすことも可能になった。
そして普通のユニットでも、振動版の素材を変えたりして硬度を高め高域限界を飛躍的に伸ばすことに成功。 これはハイレゾの賜物である。
ただ現在においても、100,000Hz再生のスーパーツイーターが普及しないのはそれなりの問題があったのだ。
中高域を担当する振動版と素材が異なること。 構造的にハイコストが避けられないという事。
コストの割に違いが分からない、つまり他の再生機器のレベルが及んでいない、などの理由であったと考えられる。
複数のユニットを構成する場合、そのクロスオーバー付近、音の重なり部分で異なる振動版では音質に差が出たのである。
それで、昨今は全てのユニットを同じように揃えると言う製品が出ている。 振動版は高忠実度な振動をすれば良いわけで、そういう考えによる。
そのような金属の鎧兜で武装されたスピーカーは、非常に高価である。 残念なことにそのあまりにも高価なるがために、気軽に聴くことはできない。
ワンペアで300キロを超すシステムは、普通の家では導入が難しいし、本来の目的を果たせないままに使う事になる。
その遅れているスピーカーで、飛躍的に進歩したのは低音である。 アップライトピアノを倒したぐらいの箱の大きさで、従来の壁を埋めるスピーカー
システムと同じレベルの低音の再生と量が可能になったのだ。 つまり、全てにおいてサイズが非常に小さくなったのである。
これは、マグネットと振動版の違いが非常に大きい。 ネオジウム磁石の採用と、薄くストロークの長いウーファーでそれは現実となった。
その強大な低音パワーを受け止めるがために、金属のキャビネットが採用されたと言っても過言ではない。
これはあくまでも、オーディオレベルでの話で、普及型オーディオでは全く話が違ってくる。
なんだかんだと言っても、実際は箱にユニットを入れてクロスオーバーネットワークで帯域を繋いでいることは全く変わらない。
そのネットワークが問題だとして、各スピーカーユニット各々をアンプで駆動するマルチアンプと言うのも昔は流行した。
考えてみれば、大した性能でないユニットを大した性能でないアンプで繋げたところでと思うのだが、当時はハイエンドはそうあるべき風潮でもあった。
思うに、今のスピーカーはそんなことする必要は全くない。 それが進歩といえば進歩かも知れない。
四台や五台のアンプを使い、ブレーカーが飛ぶほどの消費電力を使い、ネットワークがどうのこうのと言ってるのに、マルチアンプには
チャンネルデバイダーと言うネットワークがしっかり入ってしまう愚かさ。しかもアンプ内蔵の部品なぞ、汎用品以外の何物でもない。
だからと言う訳ではないが、廃れた。 労多くして実少なかった訳である。 百万円のスピーカーが、2千円もしないユニットの音と大差ない、
いやある意味ましであったらどうだろう。
そんなことが、かつての長岡神話である。 究極、マルチスピカーはシングルコーンに敵わないという事もある。
特性の平坦な物は、ある意味よそよそしい。 なぜなら、人間の可聴曲線が平坦なのは子供だけだからだ。
意図してかせずか、不要なものは記憶せず、かつ聞かないように脳波コントロールする。 そのだら下がりの聴覚曲線こそ、シングルコーンの
特性そのものなのだ。 ボーカルに平坦なコンデンサーマイクは使わない。 帯域の狭いマイクほど、人の耳には優しいのだ。
楽器の帯域がそうであるように、可聴帯域は決して広くない。 高性能システムとは、複数次の倍音を拾う作業になってしまう危険がある。
買ってきて置くだけのオーディオマニア
評論家諸氏の事ではなくて・・・。 機器を揃えて悦に入る、世間一般のオーディオ愛好家=マニアのこと。
オーディオを趣味として数十年も経つと、金銭的にも余裕が出来、家を新築してオーディオルームを構築したりと言うケースも多々あるかと。
雑誌などで紹介されたり、専門店の納品先の部屋を見ると、ある意味驚きを隠せない。 高級システムを構築している人達は、皆似たり寄ったり
なのだ。 高額なスピーカーに、判で押したようにセパレートアンプ。しかもモノラルアンプが2台。 軒並みレベルの揃った高額品が並ぶ。
羨ましくも思うが、同時に残念な感じもする。 これって相当大きく鳴らさないとだめだろうなと、まず感じる。
まず、物が大きいので置き場所が最悪。 ほとんどの諸氏に、スピーカー周りに空間が全くないのだ。 音はほぼ真っすぐ飛んでくる。
もちろん、ほとんどのオーディオマニアは違うと思う。 雑誌に出るのは、高額品紹介の域を出ないのだ。
実は、部屋の広さとオーディオは深い関係がある。 広い部屋は、決してオーディオには向かない。
それを勘違いして、もの凄く広いオーディオルームを構築している人がいる。 音響処理大変だったろうにと、慙愧に堪えない。
ホールならいざ知らず、個人が一人で楽しむにはこれ以上これ以下と言う寸法が存在する。 これは家の新築でも同様である。
音波は部屋が広いほど暴れる。 波長が長いほどに、伸び伸びと暴れまくるのである。 広い部屋は寒いのと同じ原理。
つまり無駄が多い。多すぎることに気が付かないのは、悲しい。
グランドピアノを、大きなホールの後方で聞くのはどうだろうか。 そうして録音された物ならいざ知らず、グランドピアノ本来の音は
一定の距離でないと、主旋律が濁ってしまう。 それと同じことをして、家を(オーディオルーム)を建ててはいけない。
それらは、そもそも人任せだからそうなる。 売っているものを買ってきて設置してもらうだけだから、間違いは治らない。
音が悪いのは、機器やスピーカーではなくて、自分が問題なのだ。 高くても音が良くなることは決してない。
つづく。