無くなったら困りませんか?
でも、いずれCDはなくなるはずである。
CDがメインになってまだ30年そこそこである。
大体のスパンはその位なのだが、30年、短いと言えば短いが長いと言えば長い。
10年ひと昔と言うが、30年はもう大昔にもなるだろう。
その間に世界中で発売されたCDは大変な数になると思う。CDプレーヤーをレコードの代わりにメインに使ってきたオーディオファンはまだまだ現役だと思う。CDが幕を引くのは、ハイレゾが浸透してからのことになると考えられる。
もうメーカーはCDに見切りを付けてはいるのだろうが、残された遺産はあまりにも多いのだ。ハイレゾの元祖SACDは、高性能を謳い文句に販売されたが、見事に失速した。
SACDに比べCDの音がイマイチなのは、古い録音だからだと言うことが見直され、SACDの普及を妨げたのだ。帯域を伸ばすことよりも大事なことを忘れていたことかもしれない。
また価格も、そこそこに聞けるCDより高くては売れる訳がない。
ハイレゾにもクリアしなければならない問題が山積しているので、CDを凌ぐかどうかはまだまだ決定付けられないのだ。
要は、普及するための土台が必要なのだ。音質がいくら良くても、普及とは別問題なのだ。
テレビの問題も似たようなもの、はしょれば必ず失敗する。困るのはいつもユーザーなのだ。
CDのサイズは凡そ14センチ×12センチ。 この12センチというのは、大人の手を広げて
親指と中指等で容易につかめる寸法になる。これより小さいと、確かにつかみやすいし場所も取らない。カセットテープの高さは少しだけ小さく、CDのラックと兼用も可能だ。
ラベルなどは小さくて良いことは一つもない。文字も小さく見ずらく辟易とする。
そう言う点ではCDの優位は揺るがない。ラックにしても小さなラックは使いづらい。
ある意味置き場所も浮いてしまう。調和しないのだ。
MDが消えて久しく、ミニコンポも風前の灯火状態じゃないかと思う。
小さなものにあれこれと詰め込むのは、もちろんオーディオの世界ではない。
いずれCDはなくなるかも知れないが、MDサイズなどが復活することはないだろう。
必要にして充分、それが消費者の要望であり普遍の事。それに技者や経営者が気づけば
CDはまだまだ存続するかもしれない。 CDは経年で劣化してパーになることもある。
むしろ、そのことを技術者は気にかけるべきだろう。
膨大な人類の遺産やら資産を、生かすも殺すも開発側にかかっている。
クオーツ時計など時計の外形は普通なのに、裏ブタを開けるとクオーツの小ささに
驚く。なんと浮かないように、かませものまでしてあるのだ。
スマホも同様、チップは驚くほど小さく電池の方が大きいくらいだ。
つまり小さくて良いのは中身だけ、側は人間仕様にしないと扱いづらくなる。
テレビも40インチ・50インチとかあるけど、基盤は恐らくガッカリするほど小さいと思う。勿論昔のブラウン管テレビもそうで、所謂見掛け倒しなのは変わっていない。
実は一時パソコンもそうだった、大きな箱を辞めて弁当箱のようなパソコンを作ったメーカーがあった。 で、結局普及してないよね。本体は小さくできてもジャックやらは規格なので小さくならない。発熱も問題だし、何より小さいと言うのは故障したら個人の手には負えない。廃れるわね。
エソテリックCDプレーヤー Grandioso K1X SEゴールドモデル(30台限)2024年
374万円 35キログラム