聴いている。
人間は実際聞こえる音以外の、多くの音を聴いている。これは、聴力曲線のカーブとも関係する。
耳の聴覚細胞は、ピアノの鍵盤のように規則正しく低い音から高い音までキッチリと並んでいるとされる。その帯域が。20Hzから20,000Hzと言われる。
それが正しいのならば、帯域以上の音を聞くことは出来ない。しかし、骨伝道では超音波を聴いているらしいことが最近わかってきている。
また、低周波は皮膚で振動として聴いているとされる。鼓膜の振動範囲は、人類の進化過程において、変化して来たと考えられる。人類創世記では騒音の元は少なく、外敵から身を守るには鋭敏な感度の聴覚が必要だったはずである。超音波域まで聞こえていた可能性は否定できない。必要のないものは淘汰され、もしくは退化する。
音の認識は脳で行われるから、脳の聴覚野・聴覚皮質に関することはとても重要である。MRIの普及により研究は進んでいるが、まだまだ未知のことばかりと言って良い。
可聴域とはずれるが、多くの人が感じる疑問がオーディオの世界にはある。周知の通り、可聴域は年齢により低下する。
多くのオーディオの評論家諸氏もこの可聴域の低下の例には漏れない。巷のオーディオ愛好家も同様だ。
20代の多くは20,000Hzまで聞こえるが、50代以降は10,000Hz以降は著しく減少する。これは、高域細胞の死滅によるもので誰にでも起こる。
なのに、なぜ音の良し悪しを判別することができるのかと言う素朴な疑問である。しかし、近年の研究によりこれは事実であるらしいとのことがわかってきた。これは、筆者の持論と一致する。
「経験」は蓄積なのである。つまり、経験を積み重ねることによって、脳に蓄積されるデータは確実に増える。異種のデータを聴き続けることによって、その個別のパラメータまで確実に記憶するのである。これはCDとDSDの論理と相等しい。数十年にわたり各種の機器、音源を聴き続けてきた過程で膨大なデータを脳に蓄積していると考えられる。つまり、オーディオ初心者はCDの16ビット分しか細胞を所持しないが、評論家は32ビット分の細胞を所持すると言って良い。それだけ理解判別する能力は高いのだ。これは、聴感上あまり重要ではない最低域、最高域の聞き分けとは無縁のものであろう。
ゆえに、適切な判断が可能なのだ。これは、エンジニアが最終チェックを音の出口であるスピーカーを聴いてすることでもわかる。データを具表化するのがスピーカーだからである。
高域が伸びるということは、伝送特性が良いことである。つまり、ハイレゾ域と共に、それ以下の音質にも影響を与えている。
人間はハイレゾ域を聴いてるのではなく、変化の差異を感じ取っているのである。コード類やその他の部品で音が変わる、と言う原理がここに垣間見えるのでなかろうか。経験の多い物にほど、違いが顕著にわかる訳である。違いが分からないのは、脳に蓄積された情報が少ないだけである。
この聴覚と視覚は微妙に連動されることが分かってきた。ブラインドテスト、実はこれは有効なテスト手段ではなかったのである。
機器の視覚から得られた情報は、音を認識する場合に重要なパラメータとして保存されると思われる。脳は視覚情報に基づき音の判断をする、この視覚の情報がない場合、混乱が生じてしまうのだ。認識と言う物は多くの要素で構成されるのは、周知の事実である。
しまい込んだ情報を取り出すには、一致する物を探す訳だが元になるタグが無ければ、探すことは出来ない。格納しているエリアに同様の物がある場合、混乱し取り出すことは不可能になるであろう。蓄積したデータが多ければ多いほど無理である。
ブラインドテストの無意味が分かると思う。判断とは、蓄積した情報と突き合わせができなければ無理なのだ。
これはコンピューター世界の全てにも当てはまる。世の中の全ては、情報との突き合わせであると言って良い。ICカードも暗証番号も、顔認識も全てデータとの照合であろう。
よって、概ねこれらのテストは全滅か半々のどちらかになるのが多い。二者択一はでたらめに答えても50%正答の可能性がある。
人間はアナログだと思っている人は大間違いである。人間ほどデジタル的な物もないのだ。全てが電流のオンオフで動くデジタルと、人間の細胞のメカニズム、信号のメカニズムは同じなのだ。
余談だが、アナログ式の時計・・・。機械式なのだが、実はやっていることはデジタルと全く変わらない。
デジタルだハイレゾだ、デジタルは信号だから劣化しない、とか色々言っている諸氏は、どうやらデータ偏重になってるきらいがある。
人間の感覚は次元を大きく超えているのだ。
人間は見えない物は信用しない、のが普通だ。数値化されるものは分かりやすく受け入れやすい。何よりもそれが為に説得力がある。
しかし、それは事実とは少し違っていたこともあるかも知れない・・・。
そうして、医学は進歩した。何せ人間の体は生きている限り内部を知るこは出来なかったからだ。
どうしても、内部を知りたい、そう考えた人は偉い。そうして、レントゲンは実用化された。もっと詳しく知ることは出来ないか、そうしてCTスキャンは生まれた。レントゲンで映らない物は・・・。そうして、MRIは生まれた。
これにより医学が進歩し多くの人命が救われたのは、周知の事実である。そのおかげで、知ることの難しい脳の働きも解明することが可能になってきている。これは聴力分野でも例外ではない。
音の世界では、見えない音波、見えない電気信号との戦いでもある。
音は音波(空気の波)であるが、空気の分子がマイクにぶつかると電気信号に代わる。それが、電線を伝わり最後にはスピカーから音波になって放出され、鼓膜に届いて音が認識される訳である。この間に様々な場所を経過しなければならない訳だ。
楽器の再生周波数は決まっている。パイプオルガンの16Hzの超低域から、シンバルの16,000Hzの再生音まで入れても、基音は20,000Hzを超えることはない。人間の可聴域とも相まって、20,000Hz以上の再生は不要にも思える。事実、FM放送は50Hz~15,000Hz程度であり、レコード盤もCDも20Hzから20.,000Hzの帯域に収まっているからだ。過去数十年、何の不満もなかったはずである。
ところが、実際の楽器には倍音成分があり、その倍音成分は当然ながら、数万ヘルツまで存在する。楽器が混在するオーケストラのピーク部分では、20,000Hzをはるかに上回る音があることが問題になったのである。
これが、SACDの開発につながったと推測される。当時の録音機器は30,000Hzを大きくクリアしていたからだ。レコードでは高域部分をカッテングするのは困難だが、デジタルメディアでは何ら問題がない。
実際、20,000Hz以上が聞こえないはずなのに、何かが違うと言うのがあったようだ。しかし、実験では多くの場合違いを聞き分けられないのも事実であった。しかしながら、僅かに聞き分けられた人もいた訳で意味がないとは言い切れないのも事実である。
SACDの場合、単なる高域の伸びだけと決めつけるのは正しくはない。なぜならば、フォーマットを変えれば、全ての帯域で情報量が違ってくるからである。つまり、見通しが良くなるのだ。これも、残念なことに人によって差が大きい。
先に戻るが、音は耳以外でも聴いているらしいとの事実である。また、人間の可聴域とは信号レベルなので、特定の信号域のレベルが数十db上がることがあれば、聞こえることは十分にあり得る。普通はは20,000Hzのレベルは数十db降下して測定限界になっている。超低域や超高域は、神経に損傷を与えないように低下して保護しているとも考えられる。主に高域の低下が激しいのは、それだけ高周波を浴びる年数が長く損傷するためと考えられている。騒音レベルは耳に大きな影響を与えるのである。
余談だが、10代の可聴域はほとんど劣化しておらず20,000Hzまで聞き取ることが可能。
これを利用して17,000Hz以上の音(モスキート音)を発生し、防犯に役立てているケースがある。これの設置により、コンビニのたむろ、公園のたむろが減少していると言う。一部の役所による検証実験や、ビル街での設置も見られ、個人による防犯設置も多いようだ。
普通の大人では数十dbの聴力低下があるので、影響はないとされるが聞こえる大人もいるので使用には注意も必要である。